飯島建設株式会社

BLOG グループ代表ブログ

藤倉へ 2025.5.7

 いきなりですが、藤倉、お前何やってんだよ。

 ふざけるのもいい加減にしろって。

 受け入れられるわけがないし、俺は絶対に許さない。

 お前と最初に会ったのはいつだったか。
 たしか2002年か2003年、スペシャルオリンピックスのワールドゲームを控えた頃。
 お前はトーチランの担当として組織委員会に入ってきた。それが出会いだった。
 あれからもう20年以上が経つ。
 グランセローズよりも、家族よりも長い時間を共に過ごした。

 振り返れば、決して「楽しいことばかり」ではなかったけど、濃い時間だった。
 お前には、俺が言いにくいこと、やりにくいこと、そして誰もやりたがらないようなことを数多く頼んだ。
 お前は、ただ黙って従うような人間じゃなかった。
 でも言いたいことは言いながらも、最後にはちゃんと仕事を片付けてくれた。
 無理を押しつけてきた俺のやり方に、どうにか筋道をつけ、自分なりのやり方で折り合いをつけてくれた。
 本当に面倒くさい男だったけど、そんなふうに俺にモノを言ってくれるのは、お前だけだった。
 助かったよ。

 昼飯もよく一緒に食べたな。
 家族と食べる回数より多かったかもしれない。
 お前が疲れている時、俺は何も言わずに飯に誘った。
 お前もそれがどういう意味か分かっていたよな。
 でも、大変な話をするのは最初の5分だけで、あとはくだらない話ばかりで笑って飯を食った。
 いい歳して、いつもごはん粒をつけてたな。
 2人きりで何も気を遣わずに飯が食える相手なんて、俺にはお前しかいなかった。

 グランセローズが弱かった頃、何をしても勝てなかった頃。
 試合後の長距離ドライブ、無言のまま帰った車内、あの空気は今でも忘れられない。
 今は、日本一になった去年の喜びよりも、あの負け続けた時のことばかり思い出す。

 野球関係ではいろんな場所に一緒に行ったな。
 国内外問わず、出張先ではB級グルメを探し回った。
 宇奈月温泉に急に誘った時も、文句一つ言わずついてきた。
 まずい刺身に耐え切れず、道路に出て吐いたこともあったな。
  
 出張の夜は、みんなと飯を食べた後、必ず2人で部屋で飲んだ。
 つまらない話ばかりだったけど、必ず最後は2人で。

 そういえば、将来の話なんてほとんどしたことがなかった。
 でも最近になって、やっとお前と一緒に次のことを考え始めたんだよな。
 「インバウンド向けの会社を作るか?」「ツアーガイドでもやるか?」なんて盛り上がって、実際に一つツアーの仕事もこなした。
 あれが、最初で最後の「これから」の話だった。

 今回のことを聞いたとき、俺は長野を離れていた。
 何度も「ウソだ」と言ってくれと願った。
 でも、お前は枕元にも夢枕にも現れなかった。

 許さない。
 絶対に許せない。
 どうしてなんだよ。
 俺はこれから誰と早飯を食べに行けばいい?
 誰と、くだらない話をすればいい?

 藤倉、帰ってこいよ。
 キツいよ。
 今度は俺がお前の言うことを聞くから、もう一度だけ俺の言うことを聞けよ。
 安らかに眠ってる場合じゃないだろ。

 ただな、藤倉。
 ありがとな。

 家族のこと、心配だよな。
 もし相談があったら、俺にできることはするから。
 しばらくは、そこで待っていろよ。

 これでけりをつけるな。

 私的な内容、失礼しました。

 合掌

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