飯島建設株式会社

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発見 2021.12.14

 いきなりですが、朝の散歩が厳しい季節がやって来ました。

 今朝の長野市は、-2℃~-3℃くらいだったでしょうか?いつものように4時50分に起きて、いちおう外に出ては見たものの、余りの寒さに慄いて、散歩することも、「もしかしたら見れるかも?」と期待していたふたご座流星群もあきらめて、家の中に退散しました。

 ただ、不思議なもので毎日やっていることをしないとなんだか気持ち悪いものです。特に運動を欠かすと軽い罪悪感に苛まれます。
 実は、昨日も早朝から用事があり散歩が出来なかったのです。しかし、気持ちが悪かったので昼休みに散歩をすることにしました。
 会社の近所を40分ほど歩いたのですが、昨日は思い立って普段は歩かないコースを歩いて見ようと、裏道~裏道を辿って見ました。裏道を行くと、「ここから先は通り抜け出来ません。」と言う標識が3か所もありイライラしたものの新しい発見もありました。

 会社から歩いて15分ほどのところに神社があることも始めて知りました。「水内総社日吉大神社」と言いますが、神社の歴史が書いてある掲示板によると、ここは平安時代の末頃から、北信濃の名族村上源氏の一族である栗田氏の本貫の地であったこと。栗田氏はやがて戸隠・善光寺の別当として勢威を奮うようになり、その栗田氏一族がこの地に栗田城を築城した。川中島の合戦後栗田氏は匹散してしまうことになるが、ここに住む人々がこの地に氏神、守護神、として滋賀県比叡山の東麓坂本に祀られている日吉大社の御分霊を勧請し、日吉山王として永年奉斎していると書かれていました。


 そうなんです。この場所は、その栗田氏の平城の城跡だったのです。

 たしかに、広い平地が続く中、この「水内総社日吉大神社」の一角だけ小高くなっており、お城の立地には適していますし、今でこそ流れは変わりましたが、この辺りはその昔、裾花川の支流も何本か流れており、お城を取り囲むように自然の堀が形成されていたようです。


 で、この地区の名前は今でも「栗田」。「なるほど、栗田氏の栗田で、栗田だったのかー。」と、なんだか小ネタが増え、賢くなったような気分になったと言うお話です。

 単純ですよね。

 以上です。

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