いきなりですが、今の世の中では、あえて触れない方が無難だと思っているテーマですが、今回は軽くですがあえて触れてしまいます。
というのも、最近では「正しいこと」がハラスメント化する傾向にあることを、皆さんも少なからず感じているのではないでしょうか。
たとえば、ルールを守っていない人を注意したら、「ハラスメントだ」と逆ギレされ、最悪は訴訟にまで発展することもある。「それは少し違うんじゃない?」と思って指摘すると、「空気が読めない」と冷ややかな視線を浴びる。
最近、そんな“正義のハラスメント化”が進んでいる気がしてなりません。
もちろん、誰かを追い詰めたり、威圧的な態度を取ったりすれば、それは立派なハラスメントです。
また、高い地位や権力を持つ人の、あくまで個人的な正義が、他者を苦しめることもあると思います。
でも、本当に間違っていることに対して、「それ、間違ってるよ」と静かに丁寧に伝えたとしても、相手の受け取り方ひとつで「傷ついた」「不快だった」となれば、そちらが加害者にされてしまう。
別に悪意をもって言葉にナイフを仕込んだわけでもない。ただ、正しいことを言っただけなのに、結果的に相手を傷つけたことになってしまう。
これって、正義を貫く勇気よりも、黙って見過ごす「処世術」の方が評価される社会になってしまった、ということでしょうか。
実際、私自身も、そういう場面に出くわすと、悲しいかなつい黙ってしまうようになりました。
「正しさ」が誰かを傷つけるなら、黙っていた方が無難だと。でも、それが健全な社会だとは思っていません。
気障なことを言うようですが、誰も声を上げず、皆が「何も言わないことで平和を保つ」ような社会は、子供たちにとっていい社会なんでしょうか?
「優しさ」や「遠慮」が、「正義」や「誠実さ」に勝ってしまう世界で、子どもたちは何を学んでいくのでしょうか?
私としては、以前にもお話ししたことがあるかもしれませんが、「正義」と「ハラスメント」を公平に区別するための解決策は、ひとつあると思っています。
それは、感情を排した無機質な第三者の判定です。
今の時代ですから、街中のあらゆる場所にAIを設置し、起きたハラスメント事象を記録し、必要に応じて映像とともにAIが分析する。そして、「これは正義なのか、ハラスメントなのか」を淡々と判定していく。
いびつかもしれませんが、「正義」と「ハラスメント」を人間がしっかり判定できる世の中に戻るまでは、残念ながら感情に左右されない分、AI判定の方が公平でバランスの取れた結果になると思っています。
と言ったものの、誰も賛同しませんね。(笑)
失礼しました。
以上です。