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横田滋さんだったから 2020.6.9

 長い間拉致被害者の会の会長を務められた横田滋さんが逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 私は、横田滋さんとの面識はありませんから、もちろんお話しさせて頂いたこともありません。ただ、数多くの報道やインタビュー、またドキュメンタリー番組から横田滋さんの人間性ついては容易に伝わって来ます。
 それは、なんの掛値も無く「ただただ、娘さんをはじめとする拉致被害者を救出したい。」その一心。
 ともすれば、本来拉致をした国が払うべき賠償金を、自国に対して事前の立て替え賠償を強く求めたり、もっと感情的に総理大臣に拉致問題の進展を激しく詰め寄ったりしても、恐らく世論は異を唱えなかったと思います。しかし、横田滋さんは「それを言い出したら負けだ。」と考えたのでしょう。時には強い怒りを滲ませながらも、じっと我慢を続けられましたし、被害者の会の中にも強硬派の方は当然おられたでしょうが、リスペクトされる団体となるべく矜持を保たれました。

 ある雑誌で、横田滋さんの決断についての記事を読んだことがあります。
 それは、平成9年の衆議院予算委員会でのこと。
 この日、これまでの報道等では、「拉致被害者Yさん」と呼ばれていた「横田めぐみさん」が初めて実名が写真入りで公表された日となりました。実名と写真の公表については、奥さんの早紀江さんは、「それをしたらめぐみは殺されるかもしれない。」と大反対だったそうです。しかし、滋さんは「いつものようにYさんで報道されても、この時で終わってしまうからこれまでと同じことの繰り返しになる。」と言って早紀江さんの反対を押し切ったそうです。これは苦渋の決断。「私の立場なら。」などと軽々なことはとても言えませんが、想像を絶するほど苦しくて厳しい決断だったことでしょう。
 しかし、その決断があったからこそ、家族会の結成や全国での救出運動に繋がり、それを機に政府も無視はできなくなった。結局は、滋さんが実名や写真を公開したことのインパクト大きく、更に全国的な救出運動に広がりその影響力が増す。結果、なんと金正日委員長が拉致を認め5名の被害者帰国に繋がったと記してありました。

 横田滋さんは、この数十年間で何百回、何千回と皆さんの前でお話して来たでしょう。しかし、強力なリーダーシップやカリスマ振りは微塵も見せず、終始自我は無く朴訥、「ただただ、娘さんをはじめとする拉致被害者を救出したい。」の一心だけが伝わりました。しかし、強い信念の中でしっかりとした決断をした強い方。

 残念ながら、活動虚しく、拉致問題は未だなんの解決もしていません。しかし、横田滋さんが会長だったからこそ、被害者救出運動の今があると思います。
 弔いは、全員の帰国しかありません。

 合掌

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