いきなりですが、今年の流行語大賞は、高市総理の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります/女性首相」が選ばれました。
受賞の弁では、高市総理ご本人も「賛否両論あるところですが」と前置きをされていましたが、この言葉に対する社会の反応は実に幅広く、そして複雑です。
「努力家で頼もしい」「覚悟が伝わる」「言葉として美しい」と評価する声がある一方、「もうそんな価値観ではない」「働き方改革はどこへ行った?」「休むことを否定しているのでは」という指摘も多く聞こえてきました。
特に、過労によってご家族・友人・仲間を亡くされた方の立場からすれば、受け止め方がまったく異なるであろうことは、想像に難くありません。
どちらの意見も間違っていないとは思いますが、背景が違えば、同じ言葉でもとらえ方は180度異なります。
とはいえ、我々は働きます。
なぜか?
国民の義務?
家族のため?
守りたい仲間のため?
会社のため?
地域のため?
または、自分のため?
働くことで満たされ、役割が生まれ、存在意義が生まれます。
必要とされ、頼られ、期待され、認められること。
これは、時に報酬よりも強いエネルギーになることもあります。
「働く量と時間」は、働き方改革関連法によって数値化され、基準が設けられています。
法で定められている以上、それを守ることは大前提であり、議論の余地はありません。
しかしその一方で、
数字では測れない「働き」。
時間とは比例しない「価値」。
そして、表面には見えない「努力」。
そうしたものが存在するのも事実ではないでしょうか。
日本には、この目には見えない働き、価値、そして努力を評価し、尊ぶ文化がありました。
いや、今もその文化は残っています。
しかし今の世の中では、そんな見えない働きをしない人も、逆にし過ぎてしまう人も批判の対象になり得る。
そんな矛盾の中で、私たちは今日も働き方を探り続けている状態なのではないでしょうか。
実は私、今年の流行語大賞に少し注目していました。
心のどこかで、もしこの「働いて働いて・・・」が大賞に選ばれたら、世間はどんな反応を示すのか?そんな説明しづらい「怖さ」というか「ざわつき」のようなものを感じていました。
そして昨日結果が発表され、「働いて働いて・・・」が大賞となり、世の中の空気はというと・・・、
「働いて働いて働いて働いて、手をたたかれながらも、叩かれて・・・」
と、やはり、予想していた空気が流れていました。
繰り返すようですが、働くことが賞賛にもなり、批判にもなり、正解にも不正解にもなる時代。
それでも、私たちは働き続けます。
以上です。
