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あるビルの解体 2024.4.16

 いきなりですが、私とほぼ同い年のビルを解体します。

 と言うのも、このビルは以前当グループの本社でしたが、本社を現在の場所に移してからは、ある企業さんに長い間お借り頂いていました。
 数年前より、老朽化が目立っていましたので、テナントさんには耐震性の問題もお話しながら解体の方向である旨をお伝えして来ました。そして、このほどお話しがまとまり解体の運びとなりました。

 昭和40年(1965年)設立の当グループは、私の年齢と同じです。
 そして、今回解体するビルも、竣工が昭和43年頃だったので、私とほぼ同い年です。

 私の出身は、長野県千曲市ですが、幼稚園に上がる3歳の頃長野市に引っ越しをしました。その時に最初に住んだのが、この旧本社でした。要するに会社の中に自宅があったのです。
 60年前は、社員さんの人数も多くなく、皆家族のような感じで、社内に住んでいた悪ガキの私は、毎日社内でいたずらを繰り返して相当迷惑を掛けていました。

 ある日の夕方、なにをしたのかは覚えてないのですが、父親にこっぴどく怒られ、罰として敷地内にあった自転車置き場の柱に縄で縛りつけられてしまいました。

 今では、虐待ですね。(笑)

 そんな状況の私を見て、理由も聞かずに、そっと縄をほどいて助けてくれた社員さんがいました。

 その社員さん、実は私が唯一怖いと思っていた社員さんで、他の社員さんはいたずらをしても、笑って許してくれましたが、この社員さんだけは「悪いものは、悪い。」といつも怒られていました。

 なので、私はこの社員さんが嫌いでした。

 私の父親は、ワンマンで昔気質の人。当時の社員さんはそんな性格の社長のすることに異を唱えることはほぼありません。

 この日、柱に括りつけられた私を見ても、「大丈夫?」「痛い?」と声は掛けてくれましたが、社長が恐ろしいので、縄をほどいてはくれませんでした。

 しかしです。私の嫌いな社員さん、この時は何も聞かずにそっと縄をほどいてくれたのです。凄く感動しました。当時5才くらいだったと思いますが、今でもあの日のことは鮮明に覚えています。

 そして、その日を境に、私の出鱈目ないたずらは止んだ気がします。

 過日、解体をするビルを回りながら、そんなことを思い出していると、あの日括りつけられていた自転車置き場の柱が、まだそこにありました。

 なんだか目が潤んで来ました。

 お世話になった、たくさんの思い出の詰まったビルを解体します。
 感謝込めて。

 以上です。

飯島建設株式会社