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私の平成 「嗚呼 上野駅編」 2019.5.8

 さて、私の平成の続きをお話しさせて頂きます。

 前回は、父親が急逝したことで戸田建設さんを退職し、長野に戻ることになり、いよいよ東京を離れる日が近づいたある日、直属の上司だった主任から電話で、なぜか「明日、上野駅から一度帰れ。」と指示があったところまでお伝えしました。

 私は、戸惑いながらもお世話になった主任の最後の指示なので、訳が分かりませんでしたが主任の言うとおり上野駅に行くことにしました。

 さて、「当日は少し早く来い。」言う指示だったので、予定の30分前には上野駅に到着。そこで主任から事情を聞くことになります。その理由が、なんとも今ではあり得ないマンガのような理由でした。

 当時、同期では一番早く営業部に配属された私ですが、当然右も左も分からない状況でした。そんな私を徹底的に鍛え挙げて頂いた恩人と言える上席の上司がいらっしゃいました。その方は、我々営業部員に取っては鬼より怖い存在でした。しかし、怖く厳しい方でしたが、強い思いを持っての指導だと我々も理解していましたので、一方では心から慕われる存在でもありました。

 で、その営業3部門を統括する怖い上司のスケジュール表の今日の日付に、なんと「10時 飯島君見送り 上野駅」と書いてあったらしいのです。どうやら情報が間違って伝わっていたらしいのです。

 ただ、その方に、おいそれと「○○さん、スケジュールが間違っています。」とは、とても言えないのは私も知っていますから、「分かりました。」と、すべてを理解して10時のあさま号に乗り込むことにしました。

 945分上野駅あさま号のホームには、戸田建設の件の上司を筆頭に、10数名の方が見送りに来てくれていました。この設えもすべてその上司の指示です。

 その上司が、駅のホームでお別れの挨拶です。その後、涙を流しながら「万歳三唱」です。

 あさま号のドアが閉まります。いつまでも手を振ってくれています。そして、私は「忖度」とは言え、実に後ろめたい思いをしながら次の大宮駅で下車して、上野駅に戻った言うお話です。

 ○○さん、ごめんなさい。(令和の恩赦)

 以上です。

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